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 今はデジタルの時代と言われるが、確かにデジタルは便利である。
情報が劣化しないで送れるし保存もできる。おまけに瞬時に膨大な情報を処理でき、仮想空間さえ出来てしまう。

 コンピュータの発展に伴いデジタルの仮想世界は現実世界さえ網羅しそうだ。

 インターネット中毒という病気さえ取り沙汰されるほど、ネット中毒患者の数は半端ではない。彼らは起きてから寝るまでネットの中に埋没し、仮想空間が現実になっている。

 現実と仮想の逆転。現実社会に戻って来るのは、食事というエネルギーを注入するときだけ・・・そこまで酷くなくても、中毒者はネットしか生きがいが無い。それはそれとして怖いことだが、デジタルは「1」と「0」で構成されることは御存知だろう。

 それは「有」と「無」という言葉で表してもいい。

 もっと言えば「明」と「暗」であり、更に言えば「光」と「闇」である。つまりアナログ世界であれデジタル世界であれ、人類はいつまでも「光」と「闇」の織り成す世界観というか、構造から抜け出すことは不可能なのである。

 現実に限りなく近い仮想空間も、結局は「神」と「悪魔」の織り成す世界観から抜け出せない。当然である、いくら仮想世界とはいえ人間が関与する限り神の支配の中にある。

 アナログの現実世界も、結局は「1」と「0」の対峙する世界観の繰り返しである。明暗、左右、上下、男女、有無、白黒、陰陽、高低、暖冷、送受、勝敗、当落・・・・そればかりではない、対極の中間においても同じで、どちら付かずのグレーゾーンにしても配合の上は黒白で、細かな部分に至っても最終的には黒白の配合比に過ぎない。たとえば「2:1」「39876:25678」というように、結局は「1」と「0」の比率の問題なのだ。

 更に言えば、目の前のリンゴをどうするかで考えてみると、アナログ世界もデジタル世界と同じであることが分る。

第一段階
「リンゴを食べようと思う=1」「リンゴを食べない=0」

第二段階(1を選択した延長)
「今すぐリンゴを食べる=1」「後で食べる=0」

第三段階(1を選択した延長)
「リンゴをナイフで剥く=1」「ナイフが無いので皮ごとかじる=0」

第四段階(1を選択した延長)
「リンゴをフォークを使って食べる=1」「フォークを使わずに食べる=0」

第五段階(1を選択した延長)
「お気に入りのフォークを使う=1」「好きではないフォークを使う=0」

第六段階(1を選択した延長)
「フォークを右手で使う=1」「フォークを左手で使う=0」

第六段階(1を選択した延長)
「一口で食べる=1」「何度かにかじって食べる=0」

・・・と、どんな判断や動作にしても、必ず「1」「0」でこの世界は成っており、大まかな流れだけではなく、微細に至るどんな細かな部分も同じなのである。

 つまり、このことを知るだけでも、この世界は「1」「0」の「光」と「闇」、つまり「神」もいるし「悪魔」もいることの証明にもつながっているのである。

 人が何と言葉を労して無神論を展開しても、全ては徒労に終わり、最終的に自分という存在自体が神の存在を証明しているという結論に至るだけのことなのだ。
(03/07/04)
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