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| 第85回 |
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『ASKA WORLD』で毎週金曜に掲載している「コミコミらなちゃん」だが、毎週どんな展開になるのか楽しみにしている。
なぜかというと、これを「毎日中学生新聞(毎中新聞)」に連載していたのが1984年頃だったはずで、今から約20年も昔になって、自分でも細かな事は忘れてしまっているからだ。特に、登場人物たちをどんなポースに描いたのか、どんな展開にして次のつづきにもっていったのかが殆ど覚えていない。
だから毎週金曜日に「コミコミらなちゃん」を読むと、「ああそうそう!」となる。結構新鮮な気もちで毎回読むことができて嬉しくもある。始めて読む読者と殆ど変わらないからだ。
「コミコミらなちゃん」は土・日曜日を除く毎日連載だったので、5日分で15ページも描かねばならなかった。これは当時の漫画週刊誌のペース(1作15枚+宣伝)と全く同じペースである。いや、週刊誌は一週間に一回の〆切で済むが、こっちは毎日が〆切なのだ。「サザエさん」の(故)長谷川町子女史が、あまりのプレッシャーで胃の大半を胃潰瘍で切除したというのも分る気がする。
女史の場合は、土日曜でも連載していたのだから毎日が梗塞状態だった。それもプロだから当然だが、面白いものを描かねばならない。
ところで女史はアニメ版の「サザエさん」は、殆ど観なかったという。
「あれはサザエさんではありませんから・・・・・」
確かに厳しい女史の言葉だが、毎日、血を吐く努力で生みつづけた作品は、自分の心と体を削った分身でもあるはずだ。命を削り取ったと言ってもいいだろう。だから、女史がそう言いたくなる気持は分るような気がするのである。
「コミコミらなちゃん」は、契約で1クール3カ月で終了するはずだったが、人気が出てもう1カ月延ばすことになったことだけはよく覚えている。たしか毎中新聞は、「(故)石森章太郎」「矢口高雄」「松本零士」「香取正樹」「岩崎陽子」氏なども描いているので、ここで連載をもったということは、それなりに箔が付くかもしれない。
毎中新聞には、らなちゃん以外に、漫画家しのだひでお氏のピンチヒッターとして、野球漫画を2カ月ほど連載したことがある。今の人は、しのだ氏のことを御存知無いであろうが、藤子・F・不二雄氏と一緒に仕事をなさっていた漫画家で、「ドラえもん」のグッズ関係の絵を描いていた人だ。だから本当は、子供の頃に見たであろう「ドラえもん」のキャクター商品の幾つかは、しのだ氏の作だったはずなのだ。
「コミコミらなちゃん」は、まだ3分の1ぐらいしか終っていないはずで、単純計算で終了するまで後1年以上はかかるはずである。
「コミコミらなちゃん」が終ったら、また別の漫画作品を連載することにしよう。おそらく誰も知らない飛鳥作品を見せることになるかもしれない。■
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| (02/04/26) |
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