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| 第114回 |
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私は仕事の関係で『聖書』をよく使用する。
その私が参照として使用するのは「新共同訳聖書」からの抜粋である。昔からある「欽定訳聖書」ではない。しかし、どちらも「JBS/日本聖書協会」が公認したものだ。
欽定訳と新共同訳では何が違うかというと、欽定訳は終戦後の口語体で、新共同約は今の口語体ということだ。つまり新共同訳は、現代人の話し言葉に近く、分かりやすいということである。
時代的にみて、口語体の欽定訳が日本で発行されたのは、『新約聖書』で1954年、『旧約聖書』で1955年であるのに対し、新共同訳は1987年発行だ。
参考までに言うと、文語体の聖書は、1887年に日本聖書協会から旧約聖書だけ先に発行されている。
では、戦国時代の聖書はというと、イエズス会(カトリック系)のフランシスコ・ザビエルが日本に持ち込んだラテン語聖書と共に、邦訳聖書(「マタイ福音書」の一部だけ)を携えてきたとされ、それが写本されたと考えられる。鹿児島上陸を起点とすれば1549年のことだ。
その後、1613年に、『新約聖書』の全訳が京都で出され、一方のプロテスタントも1837年に「マタイ福音書」の邦訳を発行し、「はじめにかしこいものござる」ではじまる神の言葉を伝えた。
新共同約の画期的な点は、それまで反目してきたカトリックとプロテスタントが、互いに日本の伝道のために手をむすび、両方の共同作業で翻訳したという点だ。
もちろん人間の訳なので、絶対に間違いは無いとはいえないが、少なくとも欽定訳のおかしかった部分は大分改まっている。
一例を示そう。たとえば今回、学研から発行された『飛鳥昭雄の超常極秘ファイル』の中で、恐竜について「ヨブ記」から聖句を参照しているが、欽定訳と新共同訳の違いを比較してみたい。
「河馬を見よ、これはあなたと同様にわたしが造ったもので、牛のように草を食う・・・(中略)・・・その尾を香柏のように動かし・・・」(「ヨブ記」第40章15〜17節)/欽定訳
「見よ、ベヘモットを。おまえを造ったわたしはこの獣をも造った。これは牛のように草を食べる・・・(中略)・・・尾は杉の枝のようにたわみ・・・」(「ヨブ記」第40章15〜17節)/新共同訳
欽定訳では河馬と決めつけた正体不明の獣の名を、ヘブライ語のベヘモットに戻し、太くしなる尾と改めることで、ベヘモットが草食恐竜である可能性が、前後の聖句からも鮮明になる。(詳細は『飛鳥昭雄の超常極秘ファイル』を参照)
他にも、ノアの箱舟について、新共同訳は大洪水の際、水中を潜っていたことを匂わせる記述に改められている。
「その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずか八名だけであった。」(「ペテロ第一の手紙」第3章20節)/欽定訳
「この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。」(「ペトロの手紙 一」)第3章20節)/新共同訳
これが、ノアの箱舟を水中に潜る巨大木造舟とする飛鳥説を支えている。
箱舟については、箱舟が三重構造とも記されているため、岩のようなバラストを船底に押し込めば、浮かび上がらずに水に潜っていられ、観音開きの船底をつなぐロープを切れば、船底はバラストの重さで開き、勝手にバラスが落ちて船体が浮かび上がる。深海潜水艇と同じ原理だ。
そうすれば未曾有の嵐で箱舟が翻弄(ほんろう)されずにすみ、海面が落ち着くまで静かな海中に潜むことが可能になる。
欽定訳聖書しかお持ちでないなら、私の参照聖句をいくら調べても、同じ箇所を発見できないためご注意願いたい。■
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| (05/09/25) |
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