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第75回
 オウム(アレフ)が引き起こした前代未聞の「地下鉄サリン事件」以降、全てのマスコミは宗教、オカルト、不思議分野を極端に自粛しはじめることになる。

 このような有り様は欧米では殆ど考えられず、日本人独特のものと思われる。
 事の次第に関わらず全部が一斉に横並びに従うのである。この様子を見る限り、日本の体質は旧ソ連の共産主義国家を越えている。

 よって日本のマスメディアには欧米でいう”報道における自主路線”は存在しないのだ。つまり日本には真のジャーナリズムは存在しない。
 突出して存在するのは、タレントの尻を追いかける三面記事ぐらいなもので、特に日本の大新聞はひどい。
 横並びも横並び、KSD事件でさえ週刊誌に主導権を奪われる体たらくぶりは恥を通り越している。これでは戦中と何ら変わりない。国会にへばりつく記者などは行動も質問も儀式化し、議員以上に永田町色に染まりきっている。

 何故、日本の全マスコミ(特にTV)が不思議分野を殆ど自粛したかは、教祖の麻原が大のオカルト好きだったことと、1999年第7番目の月で知られたノストラ予言の時期も手伝った為である。

 事実、オウムはノストラ予言の五島説を最大限に利用し、急速に信者数を増やしていった。(飛鳥情報さえ利用されていた)
 そして、オウムが宗教団体に昇格する頃、麻原自身が予言者になってしまったことから、このパッチワ−ク的新興宗教は一挙に狂いはじめる。

 パッチワ−ク宗教とは、世界中の宗教を寄せ集めただけの“継ぎ接ぎ宗教”のことだが、そこには何ら宗教の根幹部分における統一感も見られないし、宗教ばかりかオカルト分野全般、さらに最先端科学の一端さえも吸収して怪物化する。

 たとえどの宗教でも「生命の樹」の断片を保持している。
 しかし、真実の陰(闇)ばかりを集めた場合、無数の絵の具を塗り重ねる工程と似ていて、最後は限りなく“黒”になってしまうのである。
 材料は同じでも“死の樹”を造り上げるのだ!

 しかし、生命の樹はそれとは異なり、様々な光の色(特に光の三原色)を集めれば集めるほど限りなく“透明”になっていく。これが光の根源を象徴する生命の樹なのだ。

 その時期にタイミングよく登場してきたのが「と学会」という似非学会だった。
 時期がオウム批判に傾いていた頃だっただけに、物珍しさも手伝って一時ブームになったが、昨今は下火になっている。

 理由は幾つか考えられる。
 一つはマスメディアの自粛が解除されてしまったという点。事実、TV局は一斉に不思議世界寄りの新番組を発進させてきた。もはや、と学会的な番組は殆ど姿を消し、存在しても番組の一部になってしまった。
 出版物を見てもその結果は如実に現れている。と学会本は初版刷部数も急速に落下、再販も殆ど無い状態に陥っている。

 二つ目の理由は、読後感の悪さである。
 あれはひどい・・・まるで魔女刈りである。よって普通一般的な読者層は、喧嘩腰の文章の悪辣さと品の無さに愛想を尽かしてしまったのだ。
 特に女性のダイエット法まで馬鹿にしては、全国の女性層にソッポを向かれるのは当然のことだろう。

 三つ目の理由は、“他人の褌で飯を食う姿勢”が露骨になってきたことだ。
 おそらく、と学会の作家(作家といえるか不明だが)は認めないだろうが、彼らは所詮、寄生して養分を吸って生きるだけの“宿り木”にしか過ぎない。つまり“おたく族”が化けただけの集団なのだ。

 それが自分たちを社会ルールの規範と勘違いし、高慢になってしまった。それが皆の鼻に付いてきたので捨てられたのである。

と学会で私が実力があると認めるのは志水一夫氏ぐらいだろうか。しかし、彼は元々と学会に所属する必要など無かった人間だし、そう思うと、と学会とは時代が生んだ一時の徒花だったということだろう。
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