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| 第71回 |
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トキワ荘」編(第4回)
トキワ荘については多数の出版物が出ている。私が持っているだけでも以下のような本がある。
『トキワ荘青春物語』(蝸牛社)、『トキワ荘物語』(翠楊社)、『トキワ荘青春日記』(光文社)、『章説・トキワ荘・春』(講談社)、『まんがのカンヅメ』(ほるぷ出版)、『パーマンのわくわく指定席』(角川書店)、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(毎日新聞社)・・・・。
これ以外にも多数のトキワ荘物の本が出版されているが、それだけでなく手塚治虫氏や赤塚不二夫氏等の本やエッセイ、それに漫画史を扱った本等にもトキワ荘が登場する。
じつは、私も『外野席からのトキワ荘』というようなタイトルで、自分のトキワ荘物を書いてみるつもりではいる。
直接、トキワ荘に関わった漫画家以外にも、トキワ荘の影響を様々に受けた漫画家がいることを書いてみたいのだ。(予定不明)
NHKのTVドラマだけではなく、トキワ荘は映画にもなっている。
1996年に劇場公開された『トキワ荘の青春』がそれだ!
名監督の市川準氏が、自らメガホンを取った全編110分の映像の中に、当時の空気を取り込み封じ込めた逸品だった。
主人公の寺田ヒロオ氏(本木雅弘)が、まだ人が人に対して優しかった時代を愛し、やがて、その時代から取り残されていく姿を描き出していた。
確かに一見すると悲しいドラマには見えるが、人の情や優しさはそういう無情観の中でこそ、見事に際立つものではあるまいか。
映画のサブタイトルにはこう書かれている。「まじめだけど、ヘンだった。こっけいだけど、真剣だった。かなしい時も、あたたかだった。映画になった漫画家たちの青春・・・・」
これは、やや後発組とはいえ、私自身もほぼリアルタイムで体験していた、当時という時代の匂いであり、香りであり、漂う空気だったのである。
「道行く人を見ていても、愛すべきものを感じられた・・・・そう言う時代を描いてみたかった」とは、市川準監督の言葉である。
じつは、寺田ヒロオ氏が全盛期に自らペンを折ったのは、自分の漫画が時代に合わなくなったからと言われる。
しかし、もしそうなら藤子不二雄両氏の場合も同じだったはずだ。
時代は劇画全盛の時代に突入し、丸くて優しい漫画はお呼びでないという時代が始まった時、藤子不二雄氏の漫画は小学館の学年誌の中で生き残っていた。
同じように、寺田ヒロオ氏も小学館の学年誌で多くの漫画を描いていたのだ。
しかし、ある編集者の言葉が、寺田ヒロオ氏を”漫画界から追い出した”と言われる。
その編集者については、詳細を不明としておくが、92年9月24日に寺田氏が亡くなった時、葬式に出版社を呼ばないようにというのが、本人の遺言だったという。
夫人である旺子さんは、有名な大作曲家の(故)中村八大氏の妹である。
一つだけ絶対に間違いないことは、寺田氏自身が、あまりにも優しすぎたということである。
そして、過激な表現にのみ傾倒していく漫画界に、ついていくのが嫌だったのである。そして、昔という時代に自分を置くようになっていったのだ。
その結果として、自分の殻に閉じこもっていった・・・・・。
当時の漫画家のタマゴたちがトキワ荘に集まり、結成した「新漫画党」は今も存在する。
なぜなら党首だった寺田氏が解散宣言を発していなかったからだ。よって、トキワ荘も新漫画党も、寺田氏の死と共に永遠不滅のものとなったのである!(つづく)■
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