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| 第70回 |
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「トキワ荘」編(第3回)
私が「コロコロ・コミック」で、漫画家として活動し始める前の、1981年(昭和56年)に、アニメ版『トキワ荘青春日記』がTV放映された。
これは、当時、日本生命が時間枠をもっていたところに、スペシャルアニメ作品として流された番組だったが、それぞれのキャラクターが生き生きと描かれて結構楽しく面白かった。
当時、ビデオデッキは貴重品で、私はまだ持っていなかった為、知り合いにテープを渡して収録しておいてもらったのである。
しかし、デッキを買うまでテープを預けたままにしておいたのがまずかった。
知り合いは、収録されたテープを、間違って別の番組の収録で重ね撮りしてしまい、貴重なアニメが全て消えてしまったのである。
しかし、録音テープだけは何とか残されていて、今でも「君は覚えているだろか〜♪ 六畳一間のアパートの〜♪ 窓から見える水たまり♪」は、テープデッキから流れてくる。
まあその内、藤子スタジオに頼んでダビングしてもらうつもりだが・・・・。
この時のTV放映を記念した手ぬぐいがあって、藤子スタジオの人を通して頂戴することができた。
デザインは『トキワ荘青春日記』(光文社)と対応した物で、それぞれの漫画家の似顔絵が入っている。
既に、手塚氏、寺田氏、藤本氏、石ノ森氏らが亡くなった今、おそらく東京の「まんだらけ」にでも持っていけば、相当なプレミア品になるはずだ。
勿論、コレクターの私には、そういう真似は絶対にできないのだが・・・・。
このアニメ番組で私が学んだことは、人は一人だけで大きくなるのではないということである。
必ずいろんな人達の助けがあって、今の自分がある・・・それを赤塚不二夫氏を通して教えてくれる内容だった。
トキワ荘には、外泊組と言われた漫画家たちも出入りをしていた。
「うしろの百太郎」のつのだじろう氏や、「ギャートルズ」の園山俊二氏らがそれだが、これを見ただけでも、まさにトキワ荘は漫画家の”梁山泊”だったと言える!
彼らはライバルであると共に、何者にも代えがたい仲間意識で結ばれていた個人であり集団だった。
楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも皆で分け合って生きていたのだ。
これを”同じ釜の飯を食う”と言うが、じつはこの時期を若い時代に経験するか否かで、その後の人生が大きく変わってしまうという。
今では死語と化したが、昔は”ぼくら”という言葉を当然のように使った。
「ぼくらの学校」「ぼくらの先生」「ぼくらの大好物」「ぼくらの旅行」「ぼくらの休日」「ぼくらの秘密」・・・・・これらは、集団という結束力の強かった時代の仲間意識から生まれた言葉だった。
今でも断言できるが、青春時代に仲間と一緒の時期を過ごすことができた若者は幸せである。
同じ釜の飯を食うとは、手紙や電話のやり取りなどは当然で、一緒の空間で本当に一緒に飯を食うことをいう。
それを経験した者は、大勢の仲間を通して自分という存在を第三者的にも確立できるが、経験していないと、中々その意識が持てないままで終わる。
つまり自分だけが己の評価者になるため、社会性や一般性が全く欠如した自分になってしまうのである。
最近、私と一緒にデビューした頃の漫画家たちが、次々と漫画界からいなくなっている。
これは仲間として非常に寂しいもので、仲間や友人は、そこにいてくれるだけでも、自分の支えになってくれるものなのだ。
最近は、落語の八さん熊さんの住む長屋話の意味がよく分かりはじめてきた。
競争の厳しい漫画界や出版界では、余所の業種よりも遙にサイクルが早い為か、昨日までいた仲間が今日はいなくなってしまっているのである。
トキワ荘の先生諸氏も、次々と世を去っていく仲間たちを、そういう思いで寂しく見送っているのではあるまいか。(つづく)■
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