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| 第69回 |
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トキワ荘」編(第2回)
昔、東京都豊島区椎名町に、漫画の神様(故)手塚治虫氏を筆頭に、(故)寺田ヒロオ氏、(故)藤子・F・不二雄氏、(故)石ノ森章太郎氏などが住んでいた漫画家アパート「トキワ荘」があった。
我孫子素雄氏(藤子不二雄・A)原作の『まんが道』が、「週刊少年キング」(少年画報社)で連載され、NHKでも同名のドラマで放映されていたため、このオンボロアパートは一躍、漫画家志望者たちのメッカ的存在となる。
そして、その理由は私には痛いほどによく分かるのだ!
『まんが道』は、渋口の人生の深みを感じさせる希有の名作で、今も時々本棚から出してはまとめ読みをしているぐらいである。
何を隠そう、私が漫画家を目指して悪戦苦闘していた頃、一番心の支えになってくれたのが『まんが道』だったのだ。
言わば『まんが道』は、私の師であり恩人ともいえるのである。
だから、NHKで『まんが道』がシリーズ放映されると知ったとき、若き飛鳥昭雄は天にも昇る気持ちになった。
その「藤子不二雄賞」(第4回)に入選し、以後も漫画家として生きてこれたのは、藤子不二雄両氏のおかげなのである。
昔の漫画雑誌は、必ずその漫画家のページの端に、漫画家の住所が印刷されていた。
単行本も同じで、それを見れば誰でもその漫画家が何処に住んでいるか分かったが、ファンがそれを頼りに漫画家の自宅を訪れたという。
今のような”自己ちゅう社会”では大変なことになってしまう為、さすがに住所の記載だけは無くなったようだ。
『まんが道』放映の数年前、やはりNHKで放映されたドギュメント、『わが青春のトキワ荘』(1981年5月25日)を観て、私は寺田ヒロオ氏という漫画家を尊敬するようになった。
子供のころからリアルタイムで、「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」「背番号0」「もうれつ先生」等を読んでいたので、名前と作風だけは知っていたが、人格的な部分は全く知らなかったのだ。
ところが、『まんが道』の他に、NHKの『まんが道』『わが青春のトキワ荘』を観ていくうちに、漫画界が暴力思考を強めていく中、ただひとりその風潮に戦いを挑み、矢尽き弓折れるまで戦った男・・・それが寺田ヒロオ氏ということを知ったのだ。
同時に寺田ヒロオ氏は、富山県から藤子不二雄氏たちを呼び寄せ、宮城県から石ノ森章太郎を呼び寄せ、何度も挫けそうになった赤塚不二夫の面倒を見た人物であり、彼がいなければ戦後の漫画史が変わっていただろうともいわれている。
その寺田氏が、絶世期に自らペンを折り、以後 、子供に優しかった時代の漫画雑誌「漫画少年」を集大成する作業に打ち込むことになる。
そして『漫画少年史』(図書刊行会)を監修し、『付録漫画傑作選』『野球少年』等々の復刻版に携わり、更に『復刻版/漫画少年』を7冊も出す快挙を行う。
その最中にも、寺田氏と何度か手紙をやり取りし、その内に神奈川県のご自宅に伺おうとしていた矢先、92年9月24日、急に亡くなってしまわれたのである。
余りにも急な死であった。
今、寺田氏の手紙は、極真会館の(故)大山倍達氏からの直筆の葉書と共に、私にとっての最大級の宝物になっている。(つづく)■
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