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第68回
 「トキワ荘」編(第1回)

 今年も「アニメ版/ドラえもん」(小学館)の依頼を受け、飛鳥堂で仕上げさせてもらった。

 藤子・F・不二雄先生が亡くなっても、藤子先生の子供である作品達は生きつづけ、先生がいるのと同じように、今も子供たちに夢を与えている。

 昭和30年(1955年)頃、「トキワ荘」というアパートが東京の椎名町という場所に建っていた。
 そこには、漫画の神様の(故)手塚治虫氏が住んでいたため、後に、(故)藤子・F・不二雄氏や、藤子不二雄・A氏、(故)石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏らも住み着いて、やがて「出世アパート」と呼ばれるようになる。

 そのため、東京の漫画家養成学校などは、「トキワ荘詣で」を行い、バスを貸し切って生徒たちを連れていくという。

 現在は、今風のアパートに建て直されたが、当時は真ん中に広い廊下をもつ、2階建ての大きなアパートだった。

 なぜ私が知っているかというと、建て直される前の「トキワ荘」を、一度訪れていたからである。

 「トキワ荘」は池袋西武線の椎名駅で降りて、目白通りを右に折れ、Y字交差点の交番を右に入った、落合電話局の前に建っていた。

 私は、JRの目白駅から歩いたので結構なキョリだったが、そのお蔭で藤子不二雄の片割れである安孫子素雄氏の買ったという、蝋細工のピーナツを売っている店を見つけることができた。

 NHKのドラマ『まんが道』にも、エピソードになっていたので、覚えている人もいるかもしれないが、森安直哉氏がバクバク食べても腹を壊さなかったといういわくつきのピーナツのことだ。

 当時、私はまだ30歳を過ぎた頃で、悪友と一緒に東京まで車を運転して行ったのを覚えている。
 確か時期は夏で、「週刊少年ジャンプ」のパーティがあった為、蔵前のホテルオークラに車を置いてから、JRで「トキワ荘」へと向かったのだ。

 当時、既に「トキワ荘」は取り壊されるという頃で、運良くその直前に訪れることができたのである。

 外観は確かにオンボロ化していたが、間違いなく『まんが道』(藤子不二雄・A)に登場した姿のままのアパートだった。
 感動ひとしおで、さっそく中に入ろうとしたが、大きな入り口の扉は、既に釘が打たれて中に入れない。

 しかし、せっかくここまで来て、中も見ないで帰るとあれば名がすたる勝手な屁理屈で、悪友と二人で板を外し、とうとう中へと入ったのである。

 まあ厳密に言えば不法侵入だったのだろうが、時効ということで勘弁願おう。

 扉を入った右には、漫画に描かれていたのと全く同じ下駄箱があって、さっそく写真に収めた。
 漫画家の人達が住んでいたのは2階だったので、これまた漫画に登場する大きな階段を写真に収めてから、2階へ上がり、階段の正面にある集合台所に入った。

 そこは、(故)寺田ひろお氏などが自炊した台所で、彼らが使ったはずの料理用の大きな長机も真ん中デンと置かれたままになっていた。
 もちろん撮影したことは言うまでもないが、後に安孫子素雄氏(藤子不二雄・A)にそのことを話したら、「まだ壊されずに建っていたんだなあ」と驚いた顔をされていた。

 後に聞いた話しだが、その翌日、さっそく安孫子氏は車を飛ばして「トキワ荘」へ向かい、アパートが壊されてしまう前に、青春時代の記念にと、台所の長机をチャッカリ回収したということである。(つづく)
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