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 参考画像
※「本所七不思議・足洗い屋敷」図より
 




日本の妖怪 
足洗い屋敷
 今回は「本所の七不思議」で知られる足洗い屋敷について考察したい!
 
 江戸の本所には昔から奇妙な妖怪話が伝わっていた。それは本所の七不思議。なぜ日本にも七不思議が伝わっているかは、シルクロードを伝って「世界の七不思議」が伝わってきていた証拠にもなるのだが、それでもなぜ「七」なのか人々はよく分かっていない。そういえば江戸時代に流行した七福神も七で、七という数字を神聖視する傾向が日本にもあったという程度で理解するぐらいだろうか。

 一説では、昔から知られていた惑星に、太陽と月を入れた7つの「日・月・火・水・木・金・土」で七曜としたとされるが、元は『旧約聖書』の神が天地創造で七日目を聖として安息した、聖数から来ている。つまり最も神秘なる数が七なのであり、ラッキー7もそこから来ている。

 最近のカレンダーは日曜日から1週間が始るが、私が学生の頃は「月・月・火・水・木・金・土・日」だった。戦時中も土日も働くことを奨励する「月・月・火・水・木・金・金〜♪」という歌もあった。

 今でも私は月曜から始る方が正しいと思っている。第一、天地創造で神が七日目に休んでいるではないか。何もかも白人重視の欧米風キリスト教会文化に染まる必要は無い。むしろ日本にこそ真実が隠されている。そう思って最近のカレンダーを見てみると、数は少ないが確かに月曜から始るカレンダーも存在していたのを見て嬉しくなった。

 話が脱線したので、本所の七不思議に戻すが、そこの足洗い屋敷というのはこういう話である。

 本所にあった旗本屋敷で、丑三つ時になると、必ず屋敷全体がミシミシと軋みはじめ、、天井から巨大な男の足が突き出てくる。その足が御世辞にも言えぬほど汚れていて、天井から吠えるように『洗え〜〜、洗え〜〜〜』と言う声が聞こえてくる。そこで家の者が、言われた通りに洗ってやると、その足は黙って引っ込んでいくのだ。

 別の話では、天井から出てきた足は血だらけの足で、それを洗え洗えと言ってくる。そこで綺麗に洗ってやると喜んで帰っていくという。

 そんな巨大な足が天上から出てくること自体が有り得ない。だから不可思議なのだ。「足を洗う」という言葉が現在でも使われるように、悪の世界から立ち直る場合に使用する。
そういう意味で巨大な足は、大きな悪、つまりは大きな罪を意味し、それが罪の象徴である血でも示されるのはそのためだ。だからこそ清めてもらうと巨大な罪を背負った足の持ち主は喜ぶのである。

 クリスチャンなら知っていよう。イエス・キリストが十二使徒を召すとき、自ら彼等を相応しく清めるために足を洗ってやったことを。それを「洗足の儀式」という。当然弟子達は畏れ多いと思い、ペテロなどは辞退しようとするがイエスは、もし私が貴方の足を洗わなければ貴方は私と関係が無くなってしまうと語っている。それほど足を洗うことは重大なことなのだ。つまりこの世の罪業から足を洗うという意味である。

「それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」第13章5節)

 「ペトロが『わたしの足など、決して洗わないでください』と言うと、イエスは、『もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる』と答えられた。」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」第13章8節)
 
 京都左京区に有名な「下鴨神社」があるが、そこの「糺(タダス)の森」に「御手洗(ミタライ)の池」がある。毎年、土用の丑の日に大勢の人達が糺の池に入り、清水で足を洗う儀式を行って汚れを落して無病息災を祈る。
 
 つまり、我々が自然に使っている「足を洗う」という言葉には、イエス・キリストの教えが含まれていたのである。それが本所の七不思議に加わっている

1:ろくろ首 2:提灯小僧 3:天狗 4:鬼 5:一つ目小僧
6:河童 7:九尾の狐 8:鵺(ヌエ) 9:猫又 10:龍
11:のっぺら坊 12:人面樹 13:足洗い屋敷 14:狸 15:送り拍子木
16:灯りなし蕎麦 17:片葉の葦 18:おいてけ堀 19:落ち葉なしの椎

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6:河童
7:九尾の狐
8:鵺(ヌエ)
9:猫又
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11:のっぺら坊
12:人面樹
13:足洗い屋敷
14:狸
15:送り拍子木
16:灯りなし蕎麦
17:片葉の葦
18:おいてけ堀
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