参考画像 |
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※「図画百鬼夜行」より |
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日本の妖怪 ろくろ首 |
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「ろくろ首」という奇怪な妖怪の話がある。「ろくろっ首」とも言うが、私の子供のころの大阪ではろくろっ首と言った。
ろくろ首のろくろは「轆轤」と書き、陶芸家が粘土をこねるのに使う回転盤のことである。
しかし、回転盤をろくろ首と結び付けるには、見た目もシックリこない。第一、首がクルクル回転することになるではないか。
ところが、粘土を水に濡らしながら轆轤にかけて引き延ばすと、粘土は上に上にと伸び上がっていくのである。
回転さえ無視すれば、そこからろくろ首が生まれたのかもしれない。
しかし轆轤については、”井戸にある釣瓶を引き上げたり下げたりする滑車”とも辞書に書かれている。
となると、縄に吊り下げられた釣瓶〔つるべ〕を上げ下げすると、釣瓶の縄が伸びたり縮んだりすることから、ろくろ首が生まれたのかもしれない。
果してろくろ首がどちらの解釈から生まれたのか、それは研究者の意見の別れるところであろう。
私が初めてろくろ首なる妖怪の存在を知ったのは小学生のころだった。
大正デモクラシー時代の喜劇俳優、榎本健一(エノケン)主演した時代劇映画を、白黒TVで見た時である。
幼いころ別れた母親を捜す少女が、エンケンと一緒に旅をする股旅物の話で、道中の途中で旅芸人の座長にだまされた少女が、ろくろ首にされて舞台に立たされてしまうのだ。
舞台下の相方が「お花ちゃんや〜い」と言うと、「あいあ〜い」と答えて、首が上に上にと伸びていくのだが、このあたりの台詞まわしは、ろくろ首の見せ物小屋なら何処でも同じだったらしい。
この仕掛けは非常に単純で、座っている少女の後ろに左右袷の幕があり、少女の体は作り物である。
本物の少女の方は、幕の後ろで団員に抱えられて首だけ幕の外に出し、偽の胴体から大根のような首が押し出されると、少女の体を団員たちがもち上げるのだ。
何の取り留めのない話だが、それが私とろくろ首との最初の出会いだった。
ところが、妖怪研究者として知られ、私と一緒にTVにも出演した(故)白川まり奈氏が言うには、ろくろ首は三種類もあるらしいのだ。
一つは、実際に首が伸びていくろくろ首だが、一つは江戸時代の鳥山石燕の画にもあるように「飛頭蛮」と書いてろくろ首と読ませるろくろ首である。
首を切られた女が、胴と首に細い魂の糸をつなげて飛び回るろくろ首で、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『回龍とろくろ首』も、寝ている間に首が抜けて宙を飛び回る話である。
最後の一つは、斬首された人間の祟りを恐れた人々が、首と胴を分離してしまった為、かえって祟りが起きたという種のろくろ首だ。
最も有名なのは平将門の祟りで、現在の大手町に「平将門の首塚」がある。
平安中期に起きた「承平天慶の乱」(935〜940年)で藤原秀郷に討ち取られた将門の首が、さらし者にするため京都に運ばれたが、夜な夜な「わが胴体を返せ〜、首をつないで今一度戦をなさん〜」と叫びつづけ、ついに失った胴体を求めて関東へ飛び去ったという。
そして力尽きて落下したのが、今の大手町付近だったというのだ。
同様の話は他にもある。
奈良時代、陰陽道の祖として知られる吉備真備を朝廷は召し抱えたが、同じ頃、中国帰りの玄坊という僧侶も朝廷に接近していた。
しかし玄坊は、九州で起きた「藤原広嗣の乱」(740年)の責任を取らされ、九州の太宰府へ流され、そこで命を失うのである。
その処置に恨みを抱いた玄坊の首は、九州から奈良県の「興福寺」の境内まで飛んで行ったという。そして落ちたところが、現在の奈良市高畑町にある「頭塔」とされる。
このように首が胴体を求めてさまよったり、糸のような魂を引き宙を飛ぶのを、ろくろ首と言うのも面白い。■ |
1:ろくろ首 |
2:提灯小僧 |
3:天狗 |
4:鬼 |
5:一つ目小僧 |
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6:河童 |
7:九尾の狐 |
8:鵺(ヌエ) |
9:猫又 |
10:龍 |
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11:のっぺら坊 |
12:人面樹 |
13:足洗い屋敷 |
14:狸 |
15:送り拍子木 |
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16:灯りなし蕎麦 |
17:片葉の葦 |
18:おいてけ堀 |
19:落ち葉なしの椎 |
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