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第26回
 「元寇」とは、朝鮮の高句麗が関与し、元のお先棒を担いで日本に攻め込んできた戦争だ。
 昔から朝鮮は中国の属国で、元が中国を支配したら今度は元に従った。元のクビライは、マルコポーロが伝えた「ジパングの黄金」が帝国維持に必要で、毎年、税として納めてくれれば日本などどうでもよかった。が、日本が交渉を無視しつづけた結果、高句麗が「準備は万端、日本打つべし」としつこく進言し、日本征伐が実行に移された。
 しかし、実態は大嘘で、『高麗史』「金方慶伝」には、高麗が軍船を南宋様式にするには金がかかる為、安易な高麗様式の船を造船したとある。元の司令官は、それを見てまずいと思ったのか南宋船にしている。
 元は広大な大陸の騎馬戦が得意なだけに、小さな島国の占領を軍船に乗って行うのは得意でなく、攻略は主に高句麗軍に任せることになった。
 つまり元の威光をカサに着た朝鮮軍が、900隻の安直な軍船を作り、まずは対馬へ攻め込んだのである。
 そこで彼等は島民を虐殺し、女の手に穴を開け(朝鮮の風習)拉致して好きなように扱った。これは対馬史に残っており、上陸地点の大看板にも明記されている。同じことは壱岐でも行われた。
 虎の威を借る朝鮮は、調子に乗って九州に攻め込んだが、最終的に武士集団に打ちのめされ、最後は船に戻った後、(台風説もあれば疫病説もある)壊滅した。
 日本では、そんな台風など無かったとする説もあるが、『高麗史』には、逃げる途中で暴風が起き、多数が座礁したと記されている。
 都合、元寇は2度(一説では3度)起きたが、どれも高句麗軍と元軍の大敗北に終わっている。
 教科書にも載っている有名な『蒙古襲来絵詞』の絵だが、あれは江戸時代に加筆された部分で、本当の敵軍の姿は左側に多数描かれている。そこには元の服装ではなく高句麗軍の姿が描かれている。
 江戸時代の慣習となった「朝鮮通信史」に配慮したか、元という大国の脅威を理由に鎖国(当時は鎖国という言葉は無かった)を正当化したのだろう。
 どちらにせよ、過去に朝鮮が日本を侵略しようとし、失敗したという歴史があったということだ。
(08/12/03)
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