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飛鳥昭雄の漫画家人生
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第62回 講談社の田中氏 |
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昭和四十六年(1971年)の時、東京の護国寺にある講談社を初めて訪れた。
それはそれは大きな建物で、まるで白亜の殿堂のように思えた。
そこの「週刊少年マガジン」編集部を訪れたが、その時に対応してくれたのが田中義章氏である。
SFの絵物語とギャグ漫画を持参したが、一発採用は無理だった。(当然である)
その時、当時連載中の「天才バカボン」の生原稿を渡し、これを見なさいと言って読ませてくれた。
田中氏は色々と面倒みようといってアドバイスをくれたが、出版界のことがよく分からなかった当時の筆者は、別の出版社に行けば一発採用もあり得ると、二度と行かなかった。
この15年後、筆者が別名で応募した作品が「週刊少年マガジン」に入賞したので、パーティに出席したところ、この田中氏と再会した。
が、先方は当然のことだが15年前の事などは忘れていた。
それから1年後、全く別ルートから講談社発行で「ハイパーサイエンス・コミックシリーズ」を書き下ろし連載発行することになるのだが、その時にも田中氏と会った。
が、まさかあの時の入賞者〈新人)が“あすかあきお”とは思わないので、互いに「はじめまして」と挨拶をした。
田中氏は気付いていないが、これほど一人の編集者と20年近く何度も接近遭遇したことはない。
今は講談社を勇退されたが、筆者にとっては良き思い出になっている。■ |
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