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飛鳥昭雄の漫画家人生
第61回 まんがハチ公物語
 筆者のコロコロコミック時代の終わり頃(1987年)、『まんがハチ公物語』(世界文化社)を描いたことがある。

 御存知の日本映画の巨匠、新藤兼人監督の映画作品のコミック化である。

 新藤監督には申し訳無いが、映画より泣けたという人が結構大勢いて、この漫画は増刷を相当に繰り返したはずである。

 ちょうど『コロコロ・コミック』〈小学館)でも、スペシャル掲載の形で別の漫画家が描いていたが、当時の編集長だった平山隆氏に少し皮肉を言われてしまった。

 この手紙は世界文化社で筆者の担当だった女性記者からのお礼状で、「会社中、涙を流してみんな読んでくれている」と知らせてくれた。

 なぜ筆者がそれまで関係無かった世界文化社で作品を描くことになったかだが、知り合いの漫画家の知り合いの漫画家が、他の仕事で忙しいとかで筆者がピンチヒッターになったのが『まんがハチ公物語』につながったのである。

 大正時代の雰囲気を出すために、わざと筆書きのようなタッチにしたのが成功したみたいで、クラシカルな感じになった。

 今、見ればデッサンも随分変なところが多いが、途中からのピンチヒッターで期日が少なかったので、ほとんどチェックらしいところまでいかなかったこともあった。

 ロードショーの日が決まっていたので、封切りの前には書店に並んでいなければならなかったのだから突貫工事だった。

 これは確か原稿買い取りで印税契約ではなかったと思う。

 当時の、この手の書き下ろし漫画の買取価格は大体100万円ぐらいだった。

 今でも書き下ろしの買い取り漫画はあるかもしれないが、不景気なので、そういう企画すらも上がらなくなっているのではあるまいか?

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