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飛鳥昭雄の漫画家人生
第44回  ヤングジャンプ賞
 飛鳥昭彦(あすかあきお)と星野之宣氏が「ヤングジャンプ賞」発表のページに並んでいる。

 ヤングジャンプ賞といっても、「週刊ヤング・ジャンプ」は無い時代である。あくまで星野氏は少年誌デビューだ。

 結果的に星野氏は入選で、小生は選外だった。というより、星野氏以外は全員落選したということである。

 それだけに星野氏のデビューは鮮烈だった。

 だから私は、星野氏はてっきり「手塚賞」デビューとばかり思い込んでいたが、どうやら私の記憶違いのようである。

 実際、星野氏は、この数カ月後に「はるかなる朝」で「手塚賞」(第九回)を獲得し、一気に漫画界の表舞台に登場する。

 当時の『週刊少年ジャンプ』は、ほのぼの系ギャグ漫画の「ど根性ガエル」(吉沢やすみ)、ドタバタギャグ漫画の「トイレット博士」(とりいかずよし)、H系ギャグ漫画の「女だらけ」(柳沢きみお)が人気で、SF漫画が全く無かった。

 そこへ登場した星野氏は、すぐに「ブルーシティ」の連載を開始するが、やはり内容が少し重かったせか人気はイマイチだった。

 しかし、星野氏は今も漫画家として活躍している。それは、画力もさることながら才能があるからだ。

 小生は「さらばGP(グランプリ)」で最終選考まで残ったが、この分野がイケルということで、スグに「サーキットの狼」(池沢さとし)がスタートした。

 それまでのギャグ漫画からストーリー漫画に鞍替えした池沢氏は、これで超メジャーとなり大バケする。

 池沢氏担当の編集記者から、スグにスーパーカーのメカアシスタントをしてもらえないかと誘いを受けたが、思うところがあって断った。

 少し前、私は「日本むかし話」のアニメ企画が、構成から全て、送り先のTCJ(現在のエイケン)にいた某人物が持って行き、そのまま流用されたところだったのだ。

 これは、アニメ「サザエさん」の外注先だった、大阪のJAPの社長が、私の企画書をTCJに持ち込んだところ、ある上の人物がTCJを辞める時に、その企画書を持ち去ったと教えてくれたのだ。

案の定、「日本むかし話」はアニメ界で大ヒットした・・・・・。

 そういうことは世の中には多々あるということである。

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