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飛鳥昭雄の漫画家人生
第18回  夏休み
 私は小学校5年から中学1年までの3年間、毎年夏休みになると「一日のスケジュール」なるものを作っていた。

 文字だけでは面白味は無いので漫画を描いていたが、これは中学1年生の分だ。

 それは英語の教科書が出てくるから分るが、これを最後にこの習慣は終わっている。意味が無いことが分ったからだ。第一このスケジュールを守ったためしが一度も無いことに本人が気づいたからである。

 スケジュールでは毎朝6時に起きることになっているが、それは朝のラジオ体操に間に合うためだ。だが一度も行った事が無い。

 夏休みは、8時までグッスリ寝ていたと思うし、夜もスケジュールのように8〜9時に寝るようなことはなく、10時くらいまでは起きていたはずだ。

 私の中学生の頃の夏休みは、大体は漫画を描くことで過し、駄菓子屋に行ったり、野球をしたりで勉強など殆どした記憶が無い。

 しかし、「夏休みの友」はちゃんと2学期に出していたので、遊ぶ時間の合間を見てうまく勉強もやっていたのだろう。

 私は今も夏が大好きである。炎天下を麦藁帽子とシャツ1枚で自転車に乗るのが大好きだ。そのせいか今も夏が一番仕事がはかどるのである。

 私は「夏男」と自称するほど夏が好きで、常夏の場所で仕事をしたいとも考えているが、中々そうはさせてもらえそうにはない。

 ちょうどこの「一日のスケジュール」を作ったのは、絵を見れば『ノン君モン君』を作った頃だったことが分る。

 当時は朝からTVばかり観ていたような気もする。外に出るのはTV放送の無い3時から5時過ぎまでで、TV局は何処も、夏休みに限らず「テストパターン」という円と線の図柄しか流していなかった。

 毎年夏休みになると楽しみなのは、「モーちゃんター坊」で模型作りを見ることだった。今や世界にときめく「マブチモーター」が番組スポンサーになって放送していた。モーターを引っ掛けたお子様番組だったが、プラモ大好きな私は、時には漫画を放ったらかしてでもプラモを作ることが大好きだった。

 当時の私の夏休みは、プラモと漫画と遊びが溢れる夢のような時間だったのである。

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