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飛鳥昭雄の漫画家人生
第19回  キング・ポピロ
 1964年から中学校の自分の学級の掲示板に、連載していたのが『キング・ポピロ』だった。

 最初は壁新聞として勝手に張りつけていたが、最後は漫画だけの連載になったようだ。ここにはちゃんと「文化委員許可/宇田川力君」と書いてあるから、一応通すべき手順だけは中学生なりに踏んでいたようだ。

 新年号(7号目)の挨拶にはこうある。
「去年の5月15日に出版したポピロのマンガも、これで新年をむかえて67コマというコマ数を数えました。ぼくの計算では100コマ目でポピロのマンガを終了する予定でおります。それまではおうえんしてくださいね。」

・・・・今思っても赤面ものである。

 今も当時の同窓生に会うと、私の漫画を読んでいたとか、将来漫画家になると言っていたと話してくれるが、一応は自分の初心だけは貫徹したので、こういう若気の至りの恥だけは何とか拭えたと思っている。

 しかし、見たら分るように完全な手塚治虫調の漫画である。この手塚調全盛期に漫画家を目差しはじめたことが、先々、大変な事態に陥る。
東京のどの出版社へ持っていっても、「もう古いよこのタイプの絵柄は!」ばかりで、いやはや大変なショックを受けることになるのである。

 その頃には「ロボット漫画」の時代は廃れていたし、『COM』派や『ガロ』派の新しい漫画家が次々と登場し、白土三平氏のリアルな世界が一大ブームを作り上げ、日本史を勉強するなら『カムイ伝』を読めと大学で講義されるほどになったのだ。

 同時に、さいとうたかお氏や佐藤まさあき氏などの「劇画」が大ブレイクし、手塚調の漫画家たちは本家の手塚氏を含め、漫画界から一掃される時代を迎えたのである。 

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