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飛鳥昭雄の漫画家人生
第17回  ミスターカムカム
 中学3年生になっても、まだ漫画を描いていた。高校入試を控えていても、描くのをやめた記憶が無い。

『ミスターカムカム』は、当時流行っていた「007」の影響で1965年に描いた作品で、ジェームズ・ボンドのコミカル版という内容だった。

 というより、アメリカのTVシリーズ「それいけスマート」が下地だった気がする。おとぼけスパイのマックス・スマートが 女性スパイの99号と一緒にドタバタ劇を演じるドラマで結構笑えた。

『ミスターカムカム』のイメージは、後に作られた「タイムボカン」(竜の子プロ)と似ているが、30枚まで描き上げて頓挫した。ラストまで考えていなかったからだ。

 この頃になると、今の漫画の描き方と殆ど変わらなくなるが、スクリーントーンの存在はまだ知らなかった。

 実際、この頃の漫画家も殆どが手書きで背景を描き、スクリーントーンを使っていた漫画家などいなかったのである。

 かの手塚先生すら使っていなかったので、中学生の私など知る由もなかったのである。

 それに、高校生までは、何の疑問も無く手の指の数は四本だった。なぜ四本かと言うと手塚先生がそう描いていたからだ。手塚先生はディズニーの影響だったという。

 当時の漫画家は「ストーリー漫画」も「ギャグ漫画」も「少女漫画」も描けねばならなかった。

 手塚先生を筆頭に、石森章太郎、藤子不二雄、つのだじろう等々の目標にすべき漫画家全てがそうだったため、私も中学生ながらそれを目指したわけである。

 だから今でもシリアス漫画は描けるし、コロコロコミック的なギャグ漫画も描けるようになった。

 勿論、少女漫画の『コミコミらなちゃん』を毎日中学生新聞に連載することもできたのである。

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