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飛鳥昭雄の漫画家人生
第46回  作品評論
 消印が無いのでハッキリと分らないが、おそらく私が31歳の頃に受け取った手紙である。

 内容を見ると「第21回週刊少年チャンピオン新人漫画賞」に応募した作品の評論である。

 この時代、編集者は本当に真面目に評論してくれていることに今更ながら驚く。

 私など、とてもこんなに親身になって評価できないだろう。それほど親切丁寧なのだ。

 今でもそうあってほしいと思うが、それでも今の若者たちは、技術があっても評価を怖がって漫画家を目指さず、コミケだけに満足して終ってしまう者が多いと聞く。

 それに呼応するかのように、漫画家養成学校の他、アシスタント養成学校まで出てくる始末である。

 自分の未来に踏み出さないで何が若者だろうか。

 この時、私が応募したのは『おれのボーイズ・ライフ』で、どうやらフリスビー漫画だったようだ。

 ちょうど「コロコロ・コミック」に応募する前だったようで、是が非でも難関を突破しようと、フリスビー漫画で一本で猛チャージをかけていたようだ。

 31最だった私でもでこれだけやるのだから、若者ならもっとやれるだろうに・・・・。
 おしいというより、人生を馬鹿にしているとしか思えない。不完全燃焼ばかりの若者が社会に満ち溢れているのだろうか?

 実は、この懸賞漫画に、もう一作作品を送っていたらしく、その評価も書かれていた。

 『くたばれ甲子園』という高校野球漫画で、当時の私はスポーツ漫画で身を立てるつもりだったようである。

 それが、不思議漫画の世界に行ってしまったのだから世の中はわからない。

 しかし、私の時代の漫画家志望者の特徴だが、どんな分野でも描けるのである。

 今は一つの分野を目指しその分野の地位を築くが、数世代前の手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、横山光輝・・・・の頃は、どんな分野も描けなければ大御所になれなかった。

 それが根底から変わったのは、やはり「劇画」が台頭してきてからだろう。特に白土三平氏の忍者漫画一本の姿勢は、当時の漫画界を激変させてしまった。

 それと「少女漫画家」の登場だろう。これで男性漫画家の多くが、片手間に描いていた少女漫画界から追い出されてしまうのである。

それでも私などは我慢できず、「毎日中学生新聞」に少女漫画を連載することになる。

 それまで少女漫画も描けるように培ってきたものを、一度も使えないで終わることへの最後のあがきだったのかもしれない・・・・・。

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