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飛鳥昭雄の漫画家人生
第71回 北海航路SOS
 1976年春の増刊号(4月15日号)に、筆者の『北海航路SOS』(飛鳥昭彦)が掲載された。筆者26歳の頃で、担当者は中野和雄氏である。

 SF物で、超弩級潜水タンカーをめぐるテロ事件を扱った。2000年末、海上を移動する日本の巨大タンカーが、海賊やテロ行為などで座礁し、海洋汚染を引き起こした結果、打開策を緊急に練らねばならなくなった。

 特にマラッカ海峡は狭くシーレーンにとって問題であるばかりか、東南アジア各国もタンカーを締めだす政策を取り始めた。

 そこで日本は、北極の氷の下を潜る超弩級潜水タンカー「シラセ」を完成させた・・・・・しかし、安全なはずの海底に、テロ国家の攻撃型潜水艦が待ち構えていた。

 筆者は近未来SFを得意としていたため、変わった味の漫画家になるのではないかと、中野氏が後押しをしてくれたのだ。

 まあ、『週刊少年ジャンプ』(集英社)では芽は出なかったが、『コロコロ・コミック』では何とか芽が出て今に至っている。

 この増刊号には、今をときめく“よし林”のデビュー作『めざせ東大』(小林よしのり)が掲載され、後に『東大一直線』に発展していく。

 また、後に一生を風靡する鴨川つばめのデビュー作、『脂肪ゲーム』も掲載され、いかに多くの漫画家がジャンプを目指したかを髣髴させる。

 この頃、鴨川氏は「船津漫画集団GAG漫画部」のメンバーで、このメンバーが協力していた。

 当時、筆者の知り合いだった新人漫画家の作品も一緒に載っていた。『突貫チャッピー』(渚みつる)である。彼は土門トキオと名を変え、後に『コロコロ・コミック』で暫らく筆者と一緒に紙面を飾ることになる。

 ジャンプのアンケート調査の「嫌いな漫画」で、たえずトップだった渚氏は名を変えたが、コロコロでも同じ結果となった。今は本業をしながら学研の学習部門でカットやイラストを描いている。

 かく言う筆者も、ジャンプで芽が出なかったので、飛鳥昭彦から飛鳥昭雄に変名した次第である。

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