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飛鳥昭雄の漫画家人生
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第67回 ヤングジャンプ賞入選発表 |
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高校三年生の頃、東大の安田講堂事件を筆頭に、日本中の大学は荒れ狂う紛争事件で荒廃していた。
筆者は、そんな大学に魅力を失い、自分の好きな道に向かうことを決心した。
当時、社会全体が右肩上がりで、就職など意図も簡単という時代だった。その気にさえなれば、自分の行きたい道を自由に選択できたのである。
たとえ一発で決められなくても、暫らく他の仕事をしながら再挑戦して行くことも比較的容易だった。
筆者は、高校三年生の頃から本格的に漫画家の道を目指し、各出版社の編集部が行なう、漫画募集に積極的に応募していった。
しかし、途中までは好調でも中々最終審査まで届かず、いつも落選していた。
『週刊少年ジャンプ』(集英社)が毎月募集していた「ヤングジャンプ賞」に何度か応募したが、今回の『荒鷲』もその中の一編だった。
第一次世界大戦のヨーロッパを舞台にした空戦漫画で、ドイツの青年が主人公である。
複葉機の神様リヒト・ホーヘンをモデルにした作品だったが、当然だが漫画の主人公は身近な存在で無ければならない。外国人の、それも20歳になろうという青年を主人公にするような世界ではなかったのである。
とにかく当時の筆者は、自分の描きたいものを描くだけという遣り方で突っ走ろうとしていた。だから状況判断など四の次、五の次で殆ど無視していたと言ってもいいだろう。
確かに当時でも、『白鯨』(影丸穣也)や『サンダーボール作戦』(さいとうたかお)のように、外人を主人公にする作品もあったが、それはタイトルが有名だったからで、最初から外人を主人公にするような漫画(劇画を含む)ではない。
まして『週刊少年ジャンプ』は少年誌である、そこへ20歳ぐらいのドイツ人を主人公にする作品など応募しても、最初からツボを外していたもいいところである。
最終審査に残れただけでも良しとするべきだろう。
若い頃は、命の燃料タンクの中は満タンなので、いくらでも無理ができるし、遠回りだってできる。
失敗しても人間として生きる寿命はタップリ残っているのである。
だから失敗を恐れることなどはないのだが、筆者の場合はあまりにも無謀だった・・・・・
しかし、今ではそれが自分の栄養になっており、時にはこうして笑い話にもできる。
若いうちに夢を諦める若者が殆どという中で、筆者のような者でも、随分遠回りをしてでも、最後は自分の夢を実現できるということを知ってもらいたい。■ |
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