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飛鳥昭雄の漫画家人生
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第27回 NO(ナンバー)? |
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私が中学生だった頃、毎年、正月になると「書き初め」ならぬ「描き初め」をやっていた。
年頭に当たり、その年の意気込みを示すためだったが、結局、1965年と翌66年しかやらなかったようだ。
今では正月どころか大晦日も仕事をやっている為、書き初めと描き初めは毎年やっていることになる。
この頃、65年も66年も、私が作った和製スパイ「N0(ナンバー)?」を描いている。だが、実際、小説もどきで書いても、漫画で起こしたことは一度もなく、表紙だけを毎年の正月に描いていたことになる。
当時は、ショーン・コネリー主役の007シリーズの影響で、日本中で一大スパイ・ブームだった。さいとうたかお氏の劇画が漫画界を席捲し、手塚治虫氏が「W―3」で和製スパイ星新一を登場させていた。
水彩絵の具に金色が無かったため、プラモデル用のプラカラーを使って頭髪の金色を塗った。
絵に1966年とあるので、私が15歳8ヶ月の正月に描いたことになる。今から約40年ほど前、アメリカはベトナム戦争を行っていた。その影響がこの絵の中に出ている。
ヘリコプターのドアにある"昭"のマークは、今も飛鳥昭雄のサインの時、絵の脇に書いて使っている。■ |
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