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飛鳥昭雄の漫画家人生
第3回 手塚治虫の初期ワンダー3
 私が「チップ・ピーター」を講談社の新人漫画賞に応募した1965年という頃、手塚治虫氏は実は大変な経験をしている真っ最中だった。

『日の丸』に連載した「ナンバー7」という宇宙少年漫画をアニメ化することが決定した直後、東映が類似アニメ「レインボー戦隊ロビン」を立ち上げたのだ。どちらも集団劇で宇宙の敵から地球を守る設定なので、手塚氏は涙を飲んで「ナンバー7」の中身を変え、星光一(ナンバー7)という秘密機関の青年が悪人相手に大活躍する設定にした。

 ただそれだけでは当時大流行していた007シリーズと同じになるので、空と飛ぶ宇宙リス(ポッコ)を登場させて、手塚調を醸し出すことにした。この宇宙リスは空を飛び角を出してテレパシー交信ができ、いつも星光一の背中に止まっているという設定だった。

 ところが、制作が進行中に、TBSが全く同じ宇宙リス(チャッピー)を登場させる「宇宙少年ソラン」をアニメ放送することを打出したのである。手塚氏は、このあまりの出来事に唖然とすると共に強い怒りを感じたという。

「ナンバー7(改訂版)の企画を外部に洩らした人間がいる!」
「噂を聞いて先に出そうと企てた人間がいる!」

 このことについて、関係者は未だに偶然と言うが私はそうは思わない。企画を盗むことはこの業界では当たり前で、以前、東宝の二人の社員がゴジラの新設定を有楽町駅から山手線に乗ってきてベラベラ話していたのを私は聞いている。つまり、秘密厳守などの気持ちは日本人には殆ど皆無なのである。特に戦中、戦後生れの世代はひどい。

「仲間内で秘密を持つとは水臭い!」
「君だけには話すがね・・・!」

という悪習を持つ世代だけに、機密を外部にベラベラ仲間内で話すことなどは当たり前なのである。

 手塚氏を襲った悲劇はそれだけではない。やっと企画を練りなおし、ボッコをウサギに変えた「W3(ワンダー3)」が立ち上がったと思うと、今度はそれを連載した『週刊少年マガジン』(講談社)に、こともあろうか「宇宙少年ソラン」が連載されることになったのだ。

 手塚氏は「宇宙少年ソラン」を連載するなら「W3」を打ち切る背水の陣で編集部に抗議したが、結局は聞き入れられず、急遽『週刊少年サンデー』(小学館)に「W3」の移転を決意する!

 そこへ「鉄腕アトム」ファンだった私の、アトムもどきの「チップ・ピーター」の応募作が講談社、それも『週刊少年マガジン』に応募されたのだからたまらない。それが『月刊少年ブック』(集英社)への寄稿となったのだ。これは私一人の一方的推測で言っているのではない。そのことについては次回で詳細に記そう。(つづく)

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