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| 第99回 『昭和生活なつかし図鑑』 |
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『昭和生活なつかし図鑑』(平凡社)である!
「オリエンタルカレー」のホーロー看板が懐かしい。当時は蓋式の缶にカレー粉が入っていて、今のような固形ではなかった。
「君〜知るや〜♪ オ〜リエンタル・カレ〜♪」の音楽がTVで流れ、宣伝カーが来ては外でカレー料理教室をやっていた。
昭和35年(1960年)には、黒人の子供の「だっこちゃん(ウィンキー)」が大流行し、手に入れるのは大変だった。やっとの思いで手に入れると、近所に見せびらかすため、誰しもが腕につけて歩き回ったものである。
なぜウィンキーの名がついたかというと、ウィンクするからだったと思う。戦後の日本は、全てがアメリカナイズされていく時代で、当時の日本人もアメリカ人のようになりたがった。
電話がある家も少なく、TV受像機もめったに無かった時代、貸本や紙芝居が子供たちの楽しみだった。紙芝居の拍子木が鳴ると、まるでカメルーンの笛吹きが来たように、あちこちから子供が10円玉を片手に飛び出してきた。爆弾というポン菓子を作る業者も来て、米をもって広場に走ったものだ。爆弾の名が付くとおり、大砲のような形に組んだ黒網の中に米を入れ、ズドオオンという轟音一発でポン菓子が出来上がる。
全てが懐かしく、暖かな時代だった。■
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