百鬼夜話

[九尾の狐]

 
回は、「金毛九尾狐」と呼ぶ九尾の白狐を取り上げてみよう!
 
日本には昔から「狐憑き」という摩訶不思議な憑依現象が信じられてきたが、狐が化けた妖狐が人間に取りつき、病気をもたらすということである。
しかし果たしてそんなことが可能なのだろか?
 
真言宗(特に東寺)の「陀吉尼[ダキニ]天法」を介して稲荷神社(伏見)と結合したという考え方があり、実際、陀吉尼天法を得意とした行者が狐を護法神として様々な操り事をなしたとされる。

しかし、我々が実際に動物園に行き、狐の檻を覗くまでも無く、狐が人間に憑依するなどという戯言は科学的にも有り得ない。では何故、日本では狐が妖怪として現われてくるのだろうか?

九尾の狐を辞書で調べてみると、昔にさかのぼるほど妖怪変化の類ではなく、限りなく神に近い非常に目でたい象徴の生き物だったと記されている。特に平和の世を示す獣となっている。
それが後世に尾が九本あることから妖怪の類とされ、恐ろしい祟りを成す化け物となっていく……。
 
特に玉藻前[タマモノマエ]という妖狐は、唐天竺をめぐって日本に漂着した九尾の化け物狐として描かれ、美しい遊女に化けて鳥羽上皇に近づき命を奪おうと画策するが、結局は陰陽師に正体が見破られ退治されてしまう。

それまでは、日本に有る「稲荷神社」に見られるように、狐は神と同等の存在、または神の具象化した姿として信仰を集めていたのだ。特に白狐は神社の白蛇と同じく神の化身だった。

これらの事実から、神社研究の上で稲荷神社は、「異なり」が変じたものという説が有力視されている。
 狐に限らず神の存在は人間にとれば非常に崇高な存在で、だからこそ決して言い逆らったり、粗末に扱ってはならないとされる。

言いかえれば、そうすれば祟りが有ることになる。つまりは天罰のことだ。よって崇高さと祟りは表裏一体とも言え、それが九尾の狐にも表れてくるのだろうか。

今をときめく安倍晴明の母親も、じつは白狐だったという伝説は有名である!
この話は「葛葉伝説」「芦屋道満大内鑑」などで紹介されて有名になり,歌舞伎の演目となって全国に広まった。

 陰陽師と白狐……だからこそ安倍晴明ゆかりの稲荷神社がこれほどに全国規模で広がっているのである。

そこで白狐を陰陽道的に調べて行くと、摩訶不可解な力で現世と異界を往還できる生き物となる。どういうことだろうか?

そこで気になるのが九尾のことである。九尾であるために、尾は八股(八叉)でなければならない。
そうなると「八岐大蛇[ヤマタノオロチ]」がどうしても脳裏をかすむ。

神社に住みついた神の化身が白狐であり、白蛇…ヤマタノオロチ。そして古神道と陰陽道…大陸と日本…。
 
結論は簡単である。白狐が神の化身であるなら、神そのものとなる。つまりは全ての神社の頭角である天照大神そのものが白狐の正体である。よって粗末に扱えば祟りが大きい。だから崇拝すると共に恐れを抱くのだ。

すると全国の稲荷神社は天照大神の神社となり、天孫降臨の際、ニニギ尊に稲穂を授けた神を祭って「稲」の文字を充てたことになる。

実際、古来、神主は神憑りを常とした。
その神が真の神か否かを査定するのが「審神者[サニワ]」と呼ばれた一族であり、代々、忌部衆が行ったとされる。

更に忌部は神事の中枢中の中枢、三種の神器を黄金櫃に入れて運んだのも忌部である。櫃といえば箱だが、箱の角(三叉)は八箇所で、八つの三叉で八叉、ヤマタノオロチが蛇とくれば神社の神とヤマタノオロチは同格である。  
 
そしてヤマタノオロチは生贄の犠牲を求めた。

それらを全て統括できる実在の存在といえば、自らを牛や羊を生贄に捧げよと命じた旧約神、「われあり(ヤハウェ)」と名乗ったイエス・キリストだけである。

よって白狐は、イエス・キリストを象徴する存在となり、安倍晴命はイエス・キリストとつながる人物と言うことが垣間見えてくるのである。■

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