■昭和38年(1963年)撮影。向かって左の写真が飛鳥先生。右の写真が「ほ組」のみなさん。

■当時の小学校の校長が勝手に詰襟のほうが凛々しいという判断をしたためです。あの頃の小学校は、一クラス50人前後で5クラスはあったので、一学年約250人、小学校全体では1500人というというマンモス世代です。この世代を団塊の世代といいます。
最後列真中にいる外人風の男子は、当時大勢いたアメリカ人(GHQ)とのハーフで、別のクラスにもハーフの男子がいました。こういう子は当時は”あいの子”と呼ばれて、母親はずいぶん苦しい思いをしていたようです。私達子供どうしは、けっこう仲良く遊びました





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