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飛鳥昭雄の漫画家人生
第56回 北海航路SOS
 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の宣伝ページに載った、筆者の読みきりSF漫画『北海航路SOS』である。

 1976年4月15日発行の増刊号なので、筆者の26歳だった頃の作品である。

 手塚賞に応募したが落選したのだが、当時の中野和雄記者が捩じ込んでくれたのだ。

『サーキットの狼』(池沢さとし)が載っているから、如何に前だったかお分かりになるだろう。

 一緒に載っている小林よしのり氏の『めざせ東大』は、後の『東大一直線』の前の作品で、まだこの頃は一直線は登場していない。

 中野和雄氏は、筆者の他にも、ここに載っている渚みつる(後の土門トキオ)氏や勝木一嘉氏も担当していた。

 中野氏は当時『ど根性ガエル』(吉沢やすみ)を世に送り出していたし、後に、『1・2のアッホ』(コンタロウ)を生み出し、『キン肉マン』(ゆでたまご)を登場させた名編集者だ。

 彼に見つけられたおかげで、筆者も世の中に登場できたし、今もこうして出版界で飯を食っていられるのだ。

 中野氏は、後に『月刊フレッシュジャンプ』を立ち上げて編集長になるが、『月刊少年ジャンプ』との違いを明確にすることが出来ず、とうとう埋没することになる。

 その廃刊の前に、一度だけ『月刊フレッシュジャンプ』に載せたのが、つくば博(EXPO85)の年に描いた、集英社館を舞台にした『古代からのメッセージ』(ASUKAブラザーズ)だった。

 その為、集英社からパスポートを貰い、取材目的で建築中だった博覧会場に何度も足しげく通ったことを、今もよき思い出として記憶に残っている。

 人が入れない場所に、パス一枚で入れるというのは、実に爽快な気分ということが分かった次第。

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