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飛鳥昭雄の漫画家人生
第53回 コミックムー
  昭和61年(1986年)冬、『月刊ムー』の別冊が発行された。

 その名は『コミックムー』である。

 筆者が36歳の頃なので、関東に越して2年後である。

 ムーの創刊は1979年なので、その後、様々発行されていた別冊号の一環として出された本だったのだろう。

 じつは、その数年前からムー的世界を扱った漫画誌が何冊か単発で出ていたが、どれも売れずに頓挫していた。

 1986年といえば、既に筆者は『月刊コロコロ・スペシャル』(小学館)で「ザ★超能力」を連載し、『超能力の手口』(ゴマ書房)を発行した頃である。

 それだけに、老舗であるムー編集部が、漫画雑誌を発行したことは、その世界で生きていた漫画家である筆者にとれば、少なからぬ興味の目で見ていた。

 ところが、この本は一冊だけ世に出たまま二度と姿を見せる事は無くなってしまったのだ。(2003年現在)

 表紙を見ると、当時、人気絶頂だった新谷かおる氏の絵が入り、COM系漫画家の真崎守氏が総力特集的に切り込み隊長を務め、異風作家の高橋葉介氏も揃えている。

 一方、女性漫画家としては、有名な杉本啓子女史、早坂未紀女史、等々を揃え、当時最強だった宜保愛子女史のコーナーまである。

 各漫画のテーマも、「ホラー」「SF」「妖怪」「心霊」「気功」と多彩で、当時流行りのキャピキャピ学園ドラマもあれば、初恋を交えた恋愛パターンあり・・・・それがなぜ第一巻で頓挫してしまったのだろう。

 筆者も、もし『コミックムー』が続いていたら作品を描いていたかもしれず、これは一つの謎として残った。

 後に、ムー編集部と懇意になると、『コミックムー』の話はタブーであることが分かった。

 出版界の常識として、タブーは、即、売れなかったことを意味する。

 確かに筆者もこの本は買わなかった。(最近、ネット通販で購入)

 なぜ買わなかったのか?

@表紙がSFだったこと。(SF=嘘=信憑性の否定と感じた)

A漫画の中に恋愛風や学園風があったこと。(流行に媚びているだけと感じた)

B冒頭が「富士幻視行」だったこと。(幻視=詩的=フィクションなので、冒頭からファンタジーなので引いてしまった)

CSF漫画(ダッシュガソリン)が致命的だったこと。(なんじゃSFかい・・・これで本を閉じた)

 だから、漫画家としても『コミックムー』に価値を見出す事は無かったし、総じて感じた事は、SFも、ファンタジーも、学園物も、ラブコメも、何でもいいからごった煮すぎて、主張がサッパリ見えなかったことだ。

 これなら「ムー」の看板は要らなかったし、いっそ「SF(サスペンス・ファンタジー)コミック」の方が良かったかもしれない。

 おそらくこういう事例があったので、ムー的世界はコミック化できない常識が生まれたのだろう。

 しかし、筆者が『ワンダーライフ』(小学館)で「ショック★サイエンス」を連載し、常時人気投票でトップを維持したことから、その常識が引っくり返る。

 後に『月刊ムー』で「コミック版NPAシリーズ」が付録として付けられるようになったのはその為だ。

 おそらくムーの読者層は、リアルな情報を求めているのであり、架空の主人公が学園でコギャルを好きになったり云々の下りは全く必要無いものなのである。

 その意味では、メジャーの新谷かおる氏が描こうと、高橋葉介氏が描こうと、漫画家の名前など情報優先のムー世界ではどうでもいいことなのだ。

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