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飛鳥昭雄の漫画家人生
第42回  手塚賞
 1976年4月に、『増刊・少年ジャンプ』(集英社)で掲載された「北海航路SOS」は、実は「手塚賞」(第10回)に応募された作品で、選外に落とされた漫画だった。

 準入選は野間吐史氏、佳作に南一平氏、北原康行氏らが名を連ね、同時に発表された「赤塚賞」には、準入選で大林薫氏が入っている。

 野間氏は、虫プロでアニメータとして活躍しており、後に『ガロ』ヘ移ったが、今では豆本出版のパロマ舎の主宰である。

 南氏は故郷の岡山県笠間に帰り行政に絵などを提供し、北原氏については消息不明である。

 大林氏とは『コロコロコミック』で一緒に仕事をしたが、「ラジコン・ボーイ」以降はその名を聞かない。

 出版界で、10年以上、作品を連載しつづけるというのは並大抵ではないことが分る。

 結局のところ、私は飛鳥昭彦として集英社では芽が出なかったが、小学館では何とか茎を伸ばすことができた。

 まだ漫画家としては大木には育っていないと思うが、いつ何がきっかけで爆発するのか分らないのが漫画の世界だけに、これからも最前線で飛鳥漫画を連載しつづけていくつもりである。

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