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飛鳥昭雄の漫画家人生
第41回  手紙
 ティームコスモ最大のイベント、「漫画祭典76」が終った後、暫くして私は描き溜めておいた漫画原稿を、イベントに参加していた「週刊少年キング」(少年画報社)の編集者に持っていくことにした。

 その前に打診して、返事をもらったのがこの手紙である。
消印が「76 8−12」となっているので、1976年8月12日ということになる。

 今から30年近くも前の話。当時生まれた人は、今では27歳というところか。

 この返事を書いてくれた編集者は坂本益造氏といい、今は少年画報社を退社して、株式会社アコワークの代表取締役社長をしている。

 漫画エージェンシーでも知られ、凸版印刷のホームページにも、有名漫画家の4コマ漫画を出稿している会社である。

 当時の強いコネで、有名漫画家の絵でもチラシやポスター等々にバリバリ使っている会社で業界では有名。

 とにかく、当時の編集者は皆偉くなっていて、今、何をしておられるのかを調べるのが楽しみの一つになっている。

 そこで、少年キングの編集部を訪れた結果だが・・・・勿論、甘くはなかった。

 漫画家としてやっていくには、まだまだ駄目だと指摘され、26歳になっていた私は意気消沈したことは言うまでも無い。

 編集部に行く途中にあった自動販売機で飲んだジュースの味を今でも思い出される。銘柄はファンタ・オレンジだった。

 こういう挫折を幾つも経験して人は成長するのだが、今の若い人たちは、傷つくのが嫌でチャレンジする前に諦めて挫折してしまう。

 いくら才能があっても、傷つかずに世の中を渡っていけるわけが無い。日本に120万人も引きこもりがいるのも分る気がする。

 あの日は真夏の炎天下、アスファルトの照り返しがやたら強い日だった。

 あの時の悔しさをバネに、今、こうして出版界で仕事をしているわけだが、あの時のことは未だに、ほろ苦いが良き思い出として残っている。

 人生、自分に甘い記憶だけではつまらないではないか。

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