参考画像 |
|
|
画像を拡大表示する |
|
飛鳥昭雄の漫画家人生
|
第36回 中野さんのサイン色紙 |
|
私が23歳だった頃、『週刊少年ジャンプ』の「手塚賞」に応募を繰り返していた。
結局、何度応募しても最終選考には残るものの、選外ばかりで、佳作にも入れなかった。
しかし、中野和雄という新人編集者が私をかってくれて、2本の読みきりを1975年の夏と、76年春の特別号に載せてくれた。
この中野さんこそ、後の『筋肉マン』の担当編集者である。
天然パーマの中野さんは、漫画の中ではいつも、リングサイドの放送席に座っていた。
『1・2のアッホ!!』のコンタロウ氏の編集としても知られ、彼のギャグ漫画の中でも「ノロ和」として登場する。
その中野さんのサイン色紙がコレである。
いささか古くなったものの、中野さんが漫画家を目指していたという証拠が、この絵のうまさの中に窺えるはずだ。
結局、私は集英社では花開かなかったが、諦めずに漫画家を目指しつづけた結果、ようやく小学館で目鼻が立った。
やはり、何事も諦めたら負けである。■ |
|
|