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飛鳥昭雄の漫画家人生
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第31回 COSMO COMIC |
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1970年代、私は関西の雄と称された大きな同人誌に加わっていた。その同人グループを「ティーム・コスモ」と呼んだ。
会を運営していたのが兵庫県に住む関口喜巳(よしみ)氏で、ペンネームを関あきらといった。
「スター★シマック」といえば分る御仁もいると思うが、関東の雄と称された「作画グループ」の聖悠紀氏の「超人ロック」と人気を二分していた。
『週刊少年キング』(少年画報社)からも単行本が出されている。
私が大阪でアニメーションをやりながら、こまめに漫画を応募していたとき、『COM』(虫プロ商事)に送った作品を見て、わざわざ兵庫県から大阪府の自宅まで、友達と一緒に会いに来てくれたことを覚えている。
容姿は、身長176センチと背が高く、痩せていたので「さだまさし」とイメージが似ていた。
これはその頃の会報『COSMO COMIC』で、表紙を描いているのが、一緒に私の家に来た住本吉隆氏である。彼は会長の補佐役で、いわば重役的存在だった。
今では立派な事務所を構えるプロのデザイナーで、彼のデザインは「Gマーク」で賞を取っている。
ティーム・コスモからデビューした漫画家は多く、関あきら氏、宇高京子氏、おーなり由子氏、佐藤晴美氏、かづさひろし氏、かく申す飛鳥昭雄・・・・等々。
会員数200名(1978年)、オフセット印刷の本も「COSMO COMIC」「SOLEIL」「コミュニケート」と、会報以外に3種類ものコミックスが発行されていた。
大阪では2ヶ月に一度、東京では3ヶ月に一度の集会がもたれ、地方集会も幾つもあった。
今のコミケに登場する出展グループとは桁違いの、巨大同人誌グループだった。
私はそこで青春時代を過し、幾つかの足跡を残してプロになったのである。■ |
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