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飛鳥昭雄の漫画家人生
第25回  会報誌
 1970年、私は初めて「新日本漫画同盟」の会員になった。

 表紙以外はガリ版印刷だが、これは会報である。

 作品は当時は「肉筆回覧誌」といって、原稿を束ねて1冊の本にして会員に順番に回すやり方だ。

 会報の中に、「何のために入会したか」の項目があり、私はこのように書いている。

 「漫画を通して横のつながりがほしかったから」

 どうやら個人だけで道を求めるには限界を感じたようだ。仲間を求めたのである。

 当時、アニメーションの仕事をしていて「サザエさん」を作っていた時代だった。

 そのままアニメに流れて行くことに対して、ブレーキをかけたかったのかもしれない。

 漫画論の中では、「少年週刊誌は大人の世界を目指して驀進しているように見える・・・・(中略)・・・・少年週刊誌を少年向きと幼年向きに分けろということです。(以下省略)」という発言をしている。

 確かに当時の少年誌は、少年といっても19歳に合わせていたとしか思えないないようのものばかりだった。

 「コロコロ・コミック」(小学館)や「コミック・ボンボン」(講談社)が登場する前のことだった。

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