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飛鳥昭雄の漫画家人生
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第15回 ガリバーの宇宙旅行 |
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東映は毎年一作、自主制作の長編アニメーションを制作していた。
第一作は「白蛇伝」(1958年)、二作目は「少年猿飛佐助」(1959年)、三作目は「西遊記」(1960年)というふうに、私の小学生時代は、東映アニメーションを毎年学校の講堂で上映されるので楽しみだった。
中学三年の頃、東映は「ガリバーの宇宙旅行」(1956年)を上映し、私は大阪で観て感動して帰った。
今までの東映アニメと違った洗練されたアニメで、メカのデザインが凄かったし、熱血を感じて感動してしまったのである。
そこで家に帰って画面を思い出しながら描いたのがこれだった。パンフレットなど買えなかったし、本も出ていなかったので、全部自分の記憶だけで描いた。
今なら不可能なことだが、その頃の頭なら可能だったのである。
これは12枚仕上げている。
原稿の四隅に押しピンの跡があるところを見ると、これが中学校の教室の掲示板に貼った最初の漫画らしい。
1週間ほど自主展示していたが、皆けっこう喜んでくれて、担任も他の教師も全く問題にしなかったようだ。
ある英語の先生などは、一作分の漫画を借りていって、家で読んでくれていた。
ありがたいというか、平和な時代だったというか、高校でも同じことをやったが学校側の誰一人として文句を言う者はいなかった。
むしろ先生方は、将来の漫画家が現れたと全面的に応援してくれたのである。
それでますます調子に乗って漫画家を目指すことになるのだが、なんとも良い時代に生まれたものだった♪
よく言われる画一教育は、むしろ当時には殆ど無く、後のPTAの母親たちが、文部省と一緒に異常なまでの有名大学思考で子供たちを追い込んでいくのだ。
第一、当時は中学校卒業者を金の卵として持て囃し、大学は行きたいものが行けばいいという時代で、実に子供にとっては天国みたいな環境で学校が運営されていたのである!
この「ガリバーの宇宙旅行」に動画家として若き日の宮崎駿氏が加わっていた。
彼の熱血度が当時の私に僅かでも伝わっていたのかもしれない。■ |
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