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飛鳥昭雄の漫画家人生
第7回  宇宙少年ポロ
 漫画家になろうと本当に決心したのは中学生になってからである!
とにかく中学生の頃は、自分の夢を描いて描いて描きまくった時期だった。
それもメクラ滅法、思いつくまま描かないと気が済まなかった為、5ページほどで“つづく”でお終いになる。起承転結などは全く無視。
思いつくまま勝手に描きまくり、スグ別の思いつき作品を描くという、とにもかくにも忙しい時期だった。

 NHKで「宇宙船シリカ号」(昭和35〜37年放送)という日本のTV史上初のSF人形劇が放送されると即、「宇宙少年ポロ」というシリカもどきの漫画を描き始め、得体の知れない星に着陸するところで“つづく”でお終いとなる。

 それでも表紙には一人前に「アーキープロダクション」と銘打って、Aの変形ロゴまで明記している以上、将来、プロダクションを夢見ていたということだろう。

「宇宙植民地101号」では、ペン先を使用しているが、中学一年生の頃は万年筆で描いていた。それも青色(ブルーブラック)である。

 なぜなら漫画雑誌に印刷されているのは青色が多かったからで、てっきり原稿も青色で描かれていると思ったのである。

 製図用インクではなかったため、絵の具で色を塗ると滲んで仕方が無かった。

 そこで当時の私は、インクを滲ませない為には、少しでも早く色を塗ってしまえばいいと本気で思いこんでいて、一生懸命に早塗りをやったものだった。

 ケント紙や製図用紙、更には製図用インクや証券用インクも知らなければ、墨汁も知らなかったのである。

 だが今その頃を振り返ってみれば、起爆的なビッグバンのように無茶苦茶な方向にとにかく拡大する時期だったのだろう。

 学校から帰ったら、大体は漫画を描いていたと思うが、結構、友達とも遊んでいたし、勉強もそれなりにやった。ガールフレンドもいたし、ふったふられたを何度も懲りずに繰り返してもいた。案外、その頃の方が今より各方面に頑張っていたのかもしれない。

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