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飛鳥昭雄の漫画家人生
第2回 少年少女漫画入選発表
 昭和39年(1964年)、講談社で「第一回講談社新人漫画賞」が開設されたことを、中学1年生(14歳)だった私は、「週刊少年マガジン」の募集欄で知った。
ちょうどTVで「鉄腕アトム」が人気を博していたので、それを見て感動した私は「チップピーター」という鉄腕アトムもどきを作り上げたのである。

 顔は全く鉄腕アトム。違うのは左右の耳の上に、後になびく三角パネルを付け、額に細いアンテナ、黒パンツの代わりに黒タイツを履かせ、孫悟空の如意棒に見たてたロケットバーで空を飛ぶというアイテムで登場させた。

 敵は巨大な生体ロボットで、本来は小さな楕円系の生命体に過ぎないが、合体すると巨大生体ロボになるというアイデア。
アセチレンランプのようなギャングのボスや、御茶ノ水博士のような科学者も登場させた。顔はそれぞれ違うが設定は完全に鉄腕アトムそのもの。とにかく自分でアトムもどきを動かすことが楽しかったのである。

 だが技術が追いつかない。ベタは万年筆で塗りつぶすため紙はボコボコ、星はこれまた万年筆で円く抜いて他を塗りつぶすため夜景は悪戦苦闘。勿論修正なんて知らないからミスは許されない。

 何とか締めきりまでに60ページを仕上げ、表紙に色を塗り紐を通した製本までして応募した。それから数ヶ月した時「少年ブック」(集英社)に手塚治虫(故)の緊急メッセージが枠組みで出て、「ある出版社の応募漫画に、自分の漫画とそっくり同じ作品が送られてきて非常に不愉快に思った・・・・云々」と書かれてあったのを見た。いやな予感がした。

 案の定、見事に落選、最終選考にも残らなかった。今思えばあんなテクで通るわけも無いし、応募総数1328編の中で中学生が勝ち残れるわけもない。しかし、この時、最優秀入選者が何と15歳(応募時年齢)の少女だったのである!

 少女の名は里中満智子といった!!

 作品名が「ピアの肖像」。同じ大阪出身の中学3年生である。ショックだった。2歳上の少女が難関を突破して桧舞台に一挙に踊り出したのだ。

 後に「少女フレンド」(講談社)を買って作品を見たら、既に大人の絵で完成度が桁違いだった。勿論、万年筆でベタを塗ったような絵ではない。

 しかし、全く別のところで「チップピーター」が、とんでもない動き方をしていくことになる。(つづく)

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