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飛鳥昭雄の漫画家人生
第1回  週刊少年サンデー編集部からの手紙
 漫画家あすかあきおは、このコーナーで自分の漫画暦をエッセイ風に語っていこうと思う!
 これは過去を思い出しながら綴る自分の過去日記である。

 自分が漫画家になろうと思ったのは、当時のご多分に漏れず手塚治虫(故)の影響が多分にあったからだ。手塚作品の圧倒的な世界観に感動し、自分もその世界で手塚治虫のように漫画を描いていきたいと思ったのだ。

 中学1年なった時、当時TVアニメで人気を得ていた、アメリカのハンナ・バーバラ社が制作した「恐妻天国(フレッド&バーニー)」を、「ごちゃりん時代」として6枚程度の原稿にした。自分の色の実力を見てもらうため絵の具も塗ったが、内容たるや起承転結などは全く無い。

 それともう一作、今度は自分の作品の「ノン君モン君の冒険」を、これまた絵の具を塗って6ページの原稿に仕上げたが、何と”つづく”で終わらせているのだ。
 どうせすぐに出版社から仕事を依頼して来るので、全部を描く時間がもったいなかったのだ。正に阿呆である。しかし当時の私は何の社会経験も無かったのだ。

 原稿は全て青インクの万年筆で描き、原稿は全てホッチキスで6枚束ね本のようにした。
 それを人生の初めての投稿先に選んだのが「週刊少年サンデー」(小学館)だった。

 それから約3週間ほどして、原稿がそのまま戻ってきた。戻された原稿の中に茶封筒が入っており、そこには漫画をどうすれば面白く作ることが出来るかが丁寧に書かれていた。

 今も手紙は手元に残っているが、幼稚園に毛の生えた程度の絵に対し、ここまで丁寧に優しく指導してくれた編集記者に感謝である。

 これがもし馬鹿にしたような手紙だったら、おそらく漫画家あすかあきおは誕生していないはずだ。

 この手紙は私にとっての宝物だが、残念なことに編集者の名前が書かれていない。今も一体何方が書いてくださったのか知りたく思うのだが、「少年サンデーまんが班」の印しか押されていないので分からない。
 もう37年も前なので、当時入社したての新人記者としても、定年退職されているかもしれない。

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